花模様

移調楽器 解説(Jun-T様によるものです)
見出しは私が勝手につけさせて頂きました。

1.移調楽器はもともと、演奏者が簡単に吹けるように工夫されたもの

移調楽器と申しますのは、簡単にいえば、演奏者の便宜上出来上がったものでございます。
たとえば、ピアノの場合、ドレミファソラシドの音階を弾くときに、どの調性でも運指は1種類でございます。
弦楽器の場合も同様で、これはポジションと申しますが、ハ長調だろうがト長調だろうが、最初に弦を押さえる場所が
違うだけで、指使いは同じでございます。
つまり、弦楽器や鍵盤楽器では、調がどう変わろうとも、基本的な運指には変化がなく、演奏上の問題はありません。

ところが、管楽器の場合は、事情が大きく異なります。
木管ですと、ハ長調と同じ運指ではニ長調は吹けず、金管ではマウスピースで音を調節するわけですが、ハ長調とト長調では
唇の締め具合がぜんぜん違ってきます。
そこで、昔(古典派以前)から、管楽器では調性に応じてハ調ならハ長、ト調ならト調、というように、その調専用の楽器が作られる
ようになりました。
こうすれば、同じ運指や唇の締め具合で、楽器を代えるだけですべての調に対応できます。
ハ長調の曲にはC管、ト長調の曲にはG管、という具合です。

古典派までは、1曲の調性にそれほど多様性がありませんでしたので、1曲にせいぜい2本程度の調性の管を準備すれば
よかったのですが、ロマン派になりますと、転調も甚だしくなり、まともにやろうとすれば、1曲で10本も楽器を用意しなければ
なりません。
実際、「タンホイザー」などでは、管楽器(特にホルン)などは楽譜には「muta in 何々」という指定が付きまくりです。
ひどい場合には、ひとつのメロディーを吹いている途中で転調があるばかりに3回も管を変えるという場合すらございます。
これではあまりに不便ですので、時代とともに楽器が改良され、今日では木管も金管も数種類で全部の調をカヴァーできるように
なりました。

2.移調楽器クラリネット

さて、代表的な管について申し上げますと、まず木管ではクラリネットでございますね。
フルート、オーボエ、ファゴットがC管なのに対し、クラリネットだけは今日でもB管、A管の2種類が使われております。
もとはもっと種類があったのですが、時代とともにこの2種類に収斂したということですね。
B管は変ロ長調とト短調、A管はイ長調と嬰へ短調の曲で最も自然な運指ができる楽器でございます。
つまり、これらの調性の場合、楽譜上は調号なし(ハ長調)となり、演奏者にとっていちばん演奏しやすい楽譜になるわけです。
作曲者は、自分の曲の調性と相談しながらどの楽器を使うか決めて、演奏者が最も吹きやすい楽譜を書くことになります。
たとえば、A管を使う場合、イ長調の曲ならクラリネットのパートはハ長調で書き、ト長調の曲なら変ロ長調で書きます。
B管を使う場合は、変ロ長調の曲では楽譜はハ長調で書き、ト長調の曲ならイ長調の楽譜にします。
ただし、イ長調の曲にB管を使ったり、変ロ長調の曲にA管を使うことはありません。
B管でイ長調の楽譜を書くとロ長調(#5個)、A管で変ロ長調の楽譜を書くと変ニ長調(♭5個)となり、演奏者にとってはたいへん
弾きにくい調になるからです。

ブラームスの第3交響曲をごらんになると、あの曲はヘ長調ですから当然クラリネットはB管(楽譜上ではト長調)を使っておりますが、
第2主題はイ長調になるため、楽器をA管に持ち替えさせていることにお気づきになるかと思います。
こうすると、第2主題はハ長調の楽譜になり、演奏者には楽な楽譜になります。
もし、持ち替えずにB管のままイ長調で吹かせると、楽譜はロ長調になってしまい、演奏者の負担は大きなものになってしまいます。

3.1.移調楽器ホルン

ホルンも同様でして、本来は多様な調に合わせてC管、D管、E管、云々とあったのですが、19世紀中ごろから収斂が始まり、現在では
主にF管のみが使われるようになりました。
F管は、本来へ長調(ニ短調)用の管なのですが、改良を重ねた結果、現在では1本ですべての調をカヴァーできるまでに発達しました。
しかし、19世紀には他の調性用の管も現役だったわけで、当時の作曲家の多くは昔ながらの楽器の使い方を指定した結果、楽譜上では
いろんな管が使われる状態になっております(今日のオーケストラでは、よほどのことがない限り、E管だろうがC管だろうが、楽譜にお構い
なしに全部F管で済ませるのが普通です)。

3.2.ホルン(F管)の慣例

ただ、ホルンには妙な習慣がございまして(これはトランペットも同じですが)調号を記入しないのが伝統でございます。
この理由は、本来ホルンなど金管は、昔は木管のように機動的な演奏ができず、せいぜいド・ミ・ソくらいの音しか出していなかった
ために、わざわざ調号を書くまでもない、という横着な習慣が生き残ったものかと思われます。
また、18世紀の中頃からオーケストラのスコアの書き方が整備されその際ホルンは本来トランペットより低い音域の楽器であるにも
かかわらず、木管との相性がいいために便宜上木管のパートの下に書かれることになったため、実際の音域で書くと下のトランペット
より常に低い音で書かねばならず、それが見てくれが悪いせいか、実際の音域より1オクターヴ上げて書く習慣が生まれたようです。
ですから、ホルンは移調処理した上で、さらに1オクターヴ下げないと実音に一致しないという面倒なことになるわけです。

ホルンは高音部記号(ト音記号)と低音部記号(ヘ音記号)の場合で、実音と記譜音の関係が異なります。
ト音記号の楽譜では、実音は記譜音の完全5度下、ヘ音記号の楽譜では、実音は記譜音の完全4度上になります。
ただし、20世紀になってからは、ホルンの記譜音は音部記号にかかわらず実音の完全5度上、という書法もかなり一般化しているようで
ございます(とはいいながら、矢代秋雄氏の管弦楽作品のスコアなどを見ると、ホルンは昔ながらの書法になっております。このあたりは、
作曲者の好みとしかいいようがありませんね)。

4.クラリネット、ホルン、トランペットなどはもともと演奏者にとって鳴らし易さを追求して出来た移調楽器であるが、
  その他の木管楽器、金管楽器は移調楽器でないのは何故か

クラリネット以外の木管も、実は移調楽器です。
フルートは実はもともとD管の楽器なのですが、どういうわけだか楽譜は移調楽器の書法でなく、実音で書かれるのが古典派以降の
伝統です。ただし、バロック時代の楽譜などはそうでもないようです。D管フルートの仲間にはフラウト・トラヴェルソなどいろいろな移調楽器
がありましたから、必要に応じて使い分けていたのでしょう。

オーボエとファゴットはC管で、それ以外の調性用の楽器としてはオーボエ・ダモーレの仲間などいろいろあったようですが、楽器
のさまざまな改良の結果、古典派以降ではイングリッシュ・ホルン(F管)を除いてすべて絶滅したようです。
ピッコロ、コントラファゴットもC管の移調楽器で、これらは楽譜上ではそれぞれ実音より1オクターヴ上(下)の音で書かれます。

トロンボーンも、本来はテナー・トロンボーンはB管、バス・トロンボーンはF管なのですが、音程をスライドによって決める構造のせいか、
楽譜は実音通りに書かれるのが習慣になっています。

いずれにしましても、今日では木管は鍵、金管ではピストン等が整備されたため、大雑把にいえばどの管でもどんな調にも充分対応
できるまでに完成された楽器になりましたが、楽譜は昔ながらの伝統に従った書き方で書かれるのが実情です。
また、楽器が改良されたとはいえ、個々の調性の楽器にはそれぞれ特有の音色があり、たとえばクラリネットの場合、B管が華やいだ
音色であるのに対して、A管はしっとりとした風情がある、というふうに、曲想に応じて楽器を使い分けた方が効果的なこともございます。

5.作曲家による移調楽器の使い分け

ブラームスなどは無弁ホルン(旧式)の音色を好んでおりまして、チャイコフスキーやボロディンがホルンといえばF管に統一して
書いていた時代になっても、相変わらずいろんな種類の旧式ホルンを指定しておりました。ドヴォルザークも同様ですね。
また、リヒャルト・シュトラウスやマーラーには、特殊な効果を狙って、通常は使われないEs管やC管のクラリネットなどを使っている例
もあります。逆に、プロコフィエフなどは、楽譜をすべて実音で記譜し、移調楽器の処理は各演奏者に一任、という横着なスコアを
作っていたようです(笑)こういう楽譜ですと、打ち込みに便利ですね^^