花模様


04年5月21日から29日まで、朝日サンツァーズ主催の、ブダペスト、ウィーン、プラハ 9日間の海外旅行に行ってきました。
私は、現役の時、一度だけ仕事でシンガポールに行ったことがあるだけで、私的な海外旅行は初めてです。
これらの3都市は、日本のような鉄筋コンクリートの建物と違って、石作りの重厚な建物がいたるところにあって、圧倒されました。

ここでは、3都市の、音楽に関係する写真と文章に限って載せてみることにしました。

5月22日ブダペスト 自由時間があまりなかったので、リストの像とリスト記念館だけを見にいきました。旅行から帰ってきてから知ったのですが、リストはハンガリー人なのですね。「父親がハンガリー名門貴族のエステルハージ侯爵に仕えていたため、侯爵の支援でリストはウィーンやパリで音楽を学ぶことが出来た。パリでデビューした彼は、若き天才ピアニストとして社交界の花形となり、ショパンとも交友を深める。その後ドイツとイタリアに拠点を構えるが、晩年はハンガリーに戻り、ブダペストで祖国のために尽くした。音楽院を設立し、初代学長に就任して音楽教育に身を捧げた。この音楽院からバルトークやコダーイが巣立ち、近年ではゲオルグ・ショルティなど世界的に有名な多くの天才を生みだしている。」 (ハンガリー政府観光局のサイトから借用しました)。
リストの顔の部分が黒くなっていて、顔がよく見えない失敗写真ですが、ヨーロッパにきて、初めての自由行動で撮ったので、印象に残っています。

5月25日ウィーン
 この日は一日中自由行動でしたので、中央墓地、聖マルクス墓地のモーツァルトの墓、モーツァルトが結婚式をあげ、また葬儀が行なわれたシュテファン寺院、フィガロの結婚を書いたフィガロハウス、ホーフブルグ宮の中のモーツァルト像を見てきました。

ホテルより最寄りの市電の
Schottentore駅からDか2番でSchwarzenbergplatzまで市電に乗車。Schwarzenbergplatz駅で、今度は71番に乗車して、Zentralfriedhof2.Torで下車。駅の前が中央墓地の入り口になっています。著名な作曲家の墓地はすぐにみつかりました。
Schwarzenbergplatz駅で、71番に乗車 左からベートーヴェンの墓、モーツァルトの記念碑、シューベルトの墓
ベートーヴェンの墓 モーツァルトの記念碑
シューベルトの墓 ブラームスの墓
ヨハンシュトラウスU世の墓 Zentralfriedhof2.Tor駅より、聖マルクス墓地へ向かう。71番の市電を利用する。

次に聖マルクス墓地に向かう。ここはモーツァルトが葬られた墓地ですが、正確な埋葬場所は分からないそうです。墓標が立っています。是非ここには行きたかったんです。
Zentralfriedhof2.Tor駅から71番に乗車して、St.Marx駅下車。

St.Marx駅で下車すると、墓地迄の案内板が立っている。 聖マルクス墓地の入り口
墓標近くにある案内板 モーツァルトの墓標。ここに埋葬されたのではないらしいです。

聖マルクス墓地をあとにして、ベルヴェデーレ宮殿にあるオーストリア・ギャラリー、フンデルトヴァッサー・ハウス、クンストハウスウィーンを見たあと、1782年8月4日モーツァルトがコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚式を挙げた聖シュテファン大聖堂を訪ねました。1791年12月6日モーツァルトの葬儀が行われたのもこの聖堂でした。このあと、フィガロハウスを訪ねました。ここはモーツァルトが1784年9月24日から1787年4月24日まで住んだ家です。ここでモーツァルトは「フィガロの結婚」等の作曲をしました。
このあと、徒歩で、ホーフブルグの付属庭園ブルクガルテンのリング側の入り口を入り、モーツァルト像をみました。この像は1896年にヴィクトル・ティルグナーによって制作され、もともとブルクガルテンの裏手、アルベルティーナ広場にありました。第2次世界大戦中は保管され、生誕200年の祝年を前にした1953年に、現在のブルクガルテン内に移されたものです。

聖シュテファン大聖堂(尖塔は工事中でした) 聖シュテファン大聖堂の内部
フィガロハウス ホーフブルグ宮殿の中にあるモーツァルト像


5月27日プラハ
 この日は午後が自由行動だったので、プラハの南西にあるモーツァルト記念館を訪れました。ここはベルトラムカ荘といって、17世紀後半の持ち主がベルトラムだったため、この名が付けられているそうです。18世紀後半にドゥシェク夫妻のものとなりました。モーツァルトは1787年10月に夫妻の招きでここを訪れています。ここで歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の序曲が作曲されたという言い伝えもあります。1799年には持ち主が変わりましたが、1916年以来ザルツブルグの国際モーツァルテウム財団が管理し、25年には所有となりましたが、27年にプラハ・モーツァルト協会の所有となりました。1955〜56年に大改装が行われました。現在はモーツァルト記念館になっています。

ベルトラムカ荘の入り口。大きな菩提樹がある。 ベルトラムカ荘の外観
内部にあるモーツァルトも弾いたと言われるクラヴィーア

参考文献:ガイドブック音楽と美術の旅 音楽の友社刊(ハンガリー、オーストリア、チェコの項を参考にしました)